日記

僕の人生年表 その9 大学編

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2001年4月~2002年ごろ

大学を入学する事になった、ボクは大学生活にとても期待していた。


入学式は京都のどこかの会場だった記憶がある。
TV局などの取材陣がスゴイ多かった、当時の人気歌手だった倉木麻衣の影響らしい。


しかし、経済学部のキャンパスは滋賀県の南草津にあった。
自宅から滋賀県まで通うのに2時間30分以上かかり、一限目の授業に出るには朝5時過ぎ頃に家を出発しなければならなかった。
帰りは電車待ちがあると3時間コースになった、当時の南草津駅は急行が止まらなかったし。
しかも、交通費がバス代合わせて2万円前後もかかるわ教科書代や学生同士の交流など付き合いや、授業料以外のお金もかかった。
一人暮らしも考えたけど、一人暮らしはもっとお金かかるので断念した。

授業料は奨学金で何とかなると思って安心していたけど、大学生活はそれ以外にも当然お金がかかる事になり、休日には倉庫で食料品などの積み込みのバイトをしていた。


大学でも1クラス20人ぐらいだったかでクラスがあった。
このクラスもゼミのようなもんで、いろいろ特有の付き合いがった。
当時ボクの年齢は22歳、ダントツの一番年長者でちょっと輪に入りづらかった。

予備校のような失敗はしないと今度こそ頑張って友達を作ろうと意気込んでいたけど、彼らとの付き合いにお金がかかりすぎた。
名門私立大でみんな裕福な家庭の子が多いのか、経済感覚が違った。
頻繁に交流会や飲み会など行われてボクの経済状況では付いていけなくなり、だんだんと距離を置くようになった。


新年生歓迎会や文化祭などイベントになると出し物の打ち合わせで休日に呼び出されたり、合宿もあるわでこちらのバイトの都合もお構いなしなので、バイトを休めば交通費も危うくなる自分では参加できない場合も多々あった。
クラスに居づらくなってくる。
クラスも休みがちになり、また一人ぼっちになる。

みんなとは住んでる世界が違うんだとわかってきた。

そして、バイト中に腰を痛め椎間板ヘルニアになった。


大学にはしばらくは通い続けたけど、通院とヘルニアで座ると脚がしびれるようになり授業も休みがちになってくる。
サークルに入ったりもしたかったけど、時間的経済的にも無理だった。

大学生活は、ボクが思い描いていたキャンパスライフとは程遠く厳しいものだった。
長距離通学とバイトの疲労、一人ぼっち、経済的困窮、そして腰痛、ボクは完全に大学に通う気力を失っていた。

そして、2回生の途中で大学を辞めた・・・・

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