日記

僕の人生年表 その2 高校中退編

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1993年~1994年ごろ
16歳の高校一年生の夏休みを過ぎたころから、2日に1回は学校を休むようになる。
毎朝体調不良で、親とけんかしていた
親からは仮病だと思われていたらしく、よく病院へ連れて行かされた。
この頃はまだ鬱病とか一般的にはあまり認知されていなくて、精神科など行く人間は頭がおかしい人間だと思われていたので内科へ通っていた。
この頃に、心療内科など適切な治療を受けていれば立ち直れた可能性もあったかもしれない。

そして、10月~12月ぐらいになるとこのままだと出席日数が足りなくなりそうになる。
この頃は先生が家庭訪問に来たり、家族で話し合ったりした。
母親からは「高校中退してこれからどうするの」と、求人誌を放り投げられ「高校辞めるなら家から出て働け!」と何度も叱責された。


父と兄からも、学校をずる休みしていると思われていて殴る蹴るの暴力を度々受けた。
このあたりから父と兄とは、ほとんど口を利かなくなり現在も続いている。
兄はこの3年後ぐらいに就職と結婚で家を出てるので、それ以降は一度も話をしていない。
兄がウチに嫁さんや姪っ子を連れて帰郷するときは、実家が狭いしニートの私がいるので近場のホテルへ泊まっている。
兄が家に来た時、自分は部屋にジッと閉じこもっている、嫁さんや姪っ子にも会って話をしたこともない、結婚式も欠席した。


このブログに父や兄があまり登場しないのは、こういう理由です。

1994年1月ごろ、とうとう留年決定になる。
留年して、また一年生をあの高校でやり直す気力はボクには無かった。
高校を辞めれないなら自殺する覚悟で、大泣きしながら「もう学校へ行きたくない」と親に懇願した。
ストレスで円形脱毛症や白髪が大量に発生したり眉毛が無くなったり、顔の半分が麻痺したり顔に異常にブツブツができたりと、ボクの見た目もかなり変貌していた。

この頃になると、両親や兄も僕の異常さに気づいてきたので高校は意外にもすんなり辞めることができた。
両親はちょっと休養さすつもりのようだったが、これからボクの長い引きこもり生活が始まるとはこの時は思いもしなかっただろう。

この頃は、本当にもう精神的にかなり追い詰められていた。
丁度あの頃は、赤ずきんチャチャや姫ちゃんのリボンとか放映してた記憶がある。


あと深夜にラジオもよく聞いていた、ハートフルステーションや青春ラジメニアとか聞いて立派なアニオタに成長していた。
アニメとゲームとラジオが、ボクの心が唯一休まる時間だった。
多分、この3つが無ければ本当に自殺していたと思う。

いやー、本当はもっと簡素に書いてニート編まで行くつもりでしたが、書いてるうちに当時の記憶がよみがえり見る見る長文になってしまった・・・


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