日記

僕の人生年表 その6 大検受験編

投稿日:2018年1月26日 更新日:


2000年~2001年ごろ
前回、予備校の人間関係は書いた通りでいつも一人ぼっちで寂しく辛かった。
大検の生徒はみんな若くて、授業中や休み時間もおしゃべりが多く高校のような雰囲気だったから尚更居心地が悪かった
しかし、ぼっちだったからその分勉強に集中できた。


この予備校に通い、人生で初めて真面目に勉強した。
予備校の先生は公務員じゃないので、評判が悪かったり合格率が低いとクビになったり出世に響いたり減給とかされるのだろう。
授業内容もわかりやすくて面白く、どの先生も親切丁寧だった。
小中高校時代の先生とは雲泥の差である。

ボクは塾には通ってなかったけど中学時代に頭の良いクラスメイトが学校の授業はつまらない、塾は面白いと愚痴っていたのを聞いたことがあったけど、こういう事かと納得した。
でも、ボクはコミュ障だったので休み時間とかは予備校の先生とはほとんど口を利かなかった、他の生徒達とおしゃべりしていたのを羨ましく見ていた。
ボクはこの予備校の先生たちが結構好きだったが、予備校の卒業式でボクの気持ちは見事に裏切られるんですけどね。



予備校に通い、初めて勉強が楽しいと思えた。
自分は頭が悪いと決めつけて、今まで一切努力をしてこなかったのを反省した。
予備校に通い始めて3~4か月ほどが過ぎ、夏になり大検を受検した。

大検の試験が終わり合格発表の間は暇だし次の目標も無いので、思い切って運転免許を取りに行った。
運転免許費用も結構な金額になるけど、大検取った後に就職するなら必要だろうと出世払いで親が出してくれた。
この時は、自分が大学に進学することになるとは親も自分も思っていなかった。

 


そして、大検の合格発表があり合格した。

試験後に予備校で採点があって、全教科ほぼ満点だったから記入ミスが無ければ合格してたのはわかってたけどうれしかった。
こんな簡単に受かるならもっと早く受けるべきだった。

合格発表のあと、予備校の先生と面談があった。
ボクは予備校は辞めて仕事をするつもりだったけど、先生は大学に行くべきだと進めてきた。
全国展開しているこの予備校で、以前模擬テストがあり大検クラス数百人中ボクの学力は4位だったと告げられた。

あくまで大検受験クラスなので分母の学力は大したことないのはわかってるけど、自分が思っていた以上にボクの学力は高くてビックリした。
大学に行かないと勿体ないと何度も言われた。


けれど、さすがに大学はウチの経済力を考えると無理だとわかってた。
この予備校の授業料や免許費用も払ってもらったし、当初とても親には言えなかった。

それに年齢は22歳になっていたし、大学卒業する頃には26歳になっている。
もっと早く行動していればと、無駄に年齢を重ねてきた事に後悔した。
大学に行ってみたいけど、無理かな・・・当時のボクは非常に悩んでいた。


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